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 サムライ☆シンドローム

 
208 :木多娘。 :02/03/20 21:21

――ウチ、絶ッッッ対、サムライになんねん!!

そんな誓いを胸に、十四年間住んでた我が家を飛び出した。

一度決めたらテコでも動かぬその性分。
頭の中に描かれた、光輝く未来予想図に、
もう寝ても覚めてもジッとしてはいられない。
ある日突然サムライ宣言。猛烈に反対する母を
振りきって軽い旅支度を済ませると、
山の麓の開けた町へと一直線に走り出す。

背中の風呂敷には出掛けにばあちゃんが渡してくれた握り飯。
ふっくらとした頬には母から喰らった最後のビンタ。
そしてマブタのウラに母の涙と祖母の笑顔を焼きつけて、
それだけを荷物に、一人慣れない町をトボトボトボトボ歩き続けていた。

209 :木多娘。 :02/03/20 21:21

「はぁ……それにしても……」

ウチ、これからどないしよ。
あれほど堅く誓った決意も、歩を進めるたびに
足元からポロポロこぼれていってるような気がする。
それに呼応して体の中身も心の中身も軽くなっていくようで、
もうすでにそよ風が吹いたらまるで将棋の駒のように
気持ちがどっかトンでいきそうだ。

「…と、とりあえず飯や飯! 腹が減っては戦ができぬ、や!」
……まだカタナも持ってへんけどな。

道端にそびえる大樹の木陰にドサッと腰かけ
風呂敷の中に入ってる握り飯の包みを開く。
ばあちゃんが心を込めて握ってくれたその飯は
食べてしまったら家との繋がりが無くなってしまいそうで
少しばかり気がひけるのだけど、グゥと鳴いて止まない腹は
これ以外に止める術が無い。
ちょっとだけそれを見つめると、あんぐりと大きな口をあけて
ひとくちめにかぶりついた。

210 :木多娘。 :02/03/20 21:21

うん、うまい。
育ち盛りのすきっ腹には、塩で味付けられたその飯が
砂にかけられた水のように染み渡ってゆく。
もう一口。さっきと同じく大口をあけ、欠けた三角に
再度歯型をつけようとしたところ、ふと、隣りの
気配に気がついた。

……なんやコイツ。
年のころは自分と同じくらいの女の子。
その視線はジーッと手元の握り飯に注がれている。
やらんぞ。これはウチの握り飯や。ばあちゃんが
精根込めて握ってくれた大切な握り飯やねん。
そう思って無視を決め込もうとするのだけれど、
一時も離れないその視線が気になって、次の一口を
進めれない。
八重歯が覗く半開きの口元からは、あまつさえ
よだれまで垂れかかっている。

……ったくもう。

「……食うか?」
手元のまだ口をつけてない握り飯を一個、隣りに向けて差し出した。

「いっ、いいのれすか!? ありがとれすッ! いただきますのれすッ!」
まだこちらが返事もしないうちに飯を受け取り、ガツガツと
ほおばりはじめる。

「はぁ……」
二人の根競べは、どうやら亜依の一人負け。

211 :木多娘。 :02/03/20 21:21

「ふぅ……ようやくおちついたのれす……」

同じ年頃の女の子とは少しだけサイズが違うその腹を
ぽんぽんとたたくと、満足気な息をはく。

ホンマにもう。なんでウチより多く食ってんねん。
六個もあったんやで? 半分食って、残りを夜飯に
残しとこうと思ったのに。
そんな非難の眼差しを向けるのだけど、彼女は意に介さずといった調子で
てへてへとしまりの無い笑みをこぼしている。

もうええわ。こんなんに構ってられへん。
夜飯はなんとかなるだろうと諦めて「そんじゃ」とだけ
言い残すと、その場を立ち去ろうとした。

「あっ、ちょっと待つのれす!」

今度はなんや…。いまいましげに振り返ると
さっきのしまりの無い笑みはどこへやら、
真剣な表情で、再び八重歯を覗かせた。

212 :木多娘。 :02/03/20 21:22


「はぁ…」
どこでどう間違えたんやろ。なんでこんなんと一緒に歩いてるんやろ。
二つに結んだ髪をぴょこぴょこと揺らしながら隣りにくっつくその姿に、
ついつい軽い溜め息が漏れる。


「あなたには一宿一飯の義理があるのれす! なんかお礼がしたいのれす!」
…確かに飯はやったけど、宿は貸してへんやろ。それ、言葉の
使い方間違ってるで。そうつっこもうかとも思ったが、真剣なはずなのに
どこかとぼけている彼女を見ると、そんな気すら失せてしまった。

「ええよ、ンなもん。じゃ、ウチは急いでるからこれで…」
「そういうわけにはいかないのれす! ののはこれでも義理堅い人間なのれす!」


とりあえず、何かお礼ができるまでお供をするのれす!
その言葉に押しきられ、今に至る。
自己紹介の際には「あいぼん」なんて変なあだ名までつけられた。
まさにノンストップ、強引グ・マイウェイ、そんな言葉がぴったりの
彼女であったが、自分も人のことは言えない似たもの同士だということに
亜依はまったく気付いてない。

213 :木多娘。 :02/03/20 21:22

「それで、見たところあいぼんは旅の途中のようなのれす。
 なんか目的でもあるのれすか?」

はぁ。めんどくさ。いちいち説明するのも億劫で、
ただ一言「サムライになるためやねん」と口にしたものの、
「サムライ? なんでなんれすか?」
と、さらに疑問を投げかけられた。
どうせちゃんと説明するまでは気が済まないのだろう。
仕方が無い。また軽く溜め息をつき、言葉を継いだ。

「あんな、ウチ、強くなりたいねん。力をつけて立派なサムライになって、
 悪い奴等をバッタバッタとなぎ倒したいねん」
「それだけれすか?」
「それだけって……他になんか理由がいるんか?」
「いや……」
「……ま、おとんのこともあるんやけどな」
「おとん? あいぼんのお父上がどうかしたのれすか?」
「…うちのおとん…まあもう居らへんのやけど、ちょうど一年くらい前に、
 酔っ払って道端歩いてるところを辻斬りとかいうやつに襲われて
 逝ってもうたんよ。呑んだくれのロクでもない親父やったけど……
 …一応自分のおとんやったから……」
「…あいぼんはお父上の敵討ちがしたいんれすか?」
「いや…別にそんな、ごたいそうなものやあらへん。それにおとんが死んだのは
 おとんに力が無かったからや。せやからウチは強くなる。
 おとんみたいにならへんためにも強くなろう思てんねん」
「ふぅん……」

214 :木多娘。 :02/03/20 21:22

「……じゃああいぼんは、ただ力を得るためにサムライになりたいのれすか」
「そうや」
「……でも……力が強いからといって、その人が強いのかといえば、ののは
 そうは思わないのれす」
「な……」
「…ただ無闇やたらに力を求めたところで…それはきっと、あいぼんの言う悪い奴らと
 一緒なのれす。それに、そんな輩は結局は闇に捕らわれてろくでもない方向に
 進んでしまうのがオチなのれす」
「……」

偉そうに。大体、闇ってなんやねん。そうは思うもののウマイ反論も思いつかず、
彼女の方を睨みつけると、背中に背負った大きなカタナが目についた。

「…お前、カタナ使えるんか?」
「ん? …ああ、まあ少しだけれすけど剣はたしなんでいるのれす」
「どれ、ちょっと見せてもらってもええ?」
「いいれすよ」

小さな背丈には不似合いな長いカタナを取り出すと、それを亜依に手渡した。
柄を握った小さなカエデに、その重みがズシリと伝わる。

「うわぁ、カタナなんて初めて持ったわぁ……。な、これ、よう切れるん?」
「いや、それには刃がついてないから普通にやっても切れないれすよ」
「は…? じゃあ…全然意味無いやん。ただの木刀と一緒やん…」
「だって、刃が付いてたら普段危なくてたまったもんじゃないれしょう?
 それに…真のサムライに刃はいらねーのれす。サムライとは心で斬るものなのれす」
「……また訳のわからんことを……」

こいつ本当にカタナなんて使えるんか?
ふと手元に目を落とすと、柄のところに【飯】なんて字が彫られてる。
そんなに飯が好きなのか。そりゃああの食いっぷりを見ればわからなくもないけれど。
もう呆れて反論する気にもなれなかった。

215 :木多娘。 :02/03/20 21:22

持ち主にカタナを返し、これと言って行く当てもなく町の中を歩き続ける。
やがて日は暮れ、空にはカラスが鳴きはじめていた。

「そろそろどっか宿を見つけんとな…」
「…あいぼん、お金はあるんれすか?」
「え? ああ、まあちょっとやけど……。
 ……おい、まさか宿代までウチに頼ろう思てんちゃうやろな…?」
「…てへへ……そのまさかなのれす……」
「おいおい、カンベンしてくれや! ただでさえ飯もあれだけ食われたんに
 これ以上面倒見てられるかっちゅうの!」
「うぅ……」

ガックリと肩を落とし、上目使いでこちらを見てる。その目は
もうウルウルと潤んでしまい、まるで捨てられた子犬のよう。
なんでそんな目ぇすんねん…。これじゃあウチ一人がワルモンみたいやんけ。
しかも昔拾ってきた犬ッコロにそっくりな仕草で…。

亜依の弱点を知ってか知らずか、彼女はそのポーズを取り続ける。

「……ったく! もうええわ、お前の分まで払ったるからその仕草はやめ!」
「…ほんとれすか!? ありがとなのれす! これでちゃんと一宿一飯の恩なのれす!」
「はぁ〜……」

本日何度目か、もう数え切れないほどついた気がする溜め息とののを一緒に
引き連れて、宿の入り口をくぐる亜依だった。

216 :木多娘。 :02/03/20 21:23

用意された部屋は、まあ宿代に見合っただけあるボロい部屋。
それでも野宿をするよりはずっとマシというもので。
少しの間くつろいだあと、出された食事を二人でかっこむ。
しかしこんな時代とはいえ、亜依も年頃の女の子。
「ウチ、そろそろええわ」
そう言って、まだまだ椀を放さないののをしり目に食事を終える。
「ん? あいぼんもういいのれすか? ちゃんと食べないと大きくなれないれすよ?」
…そないな大きい腹にはなりたくないけどな。そんな思いは口には出さず、
「ちょっと風に当たってくるわ」とだけ残すと部屋を出る。

217 :木多娘。 :02/03/20 21:23

出口への通り、そんなに繁盛していない宿の中、一人の男が目についた。
机に向かって酒を飲んでいる。その傍らには立派なカタナ。
思わずそれを見つめていると、男も亜依に気がついた。

「…嬢ちゃん、これに興味あるのか?」
「あ…うん、ウチ、サムライになりたいねん。そんで、本物のカタナって
 持ったことないから…」
「ほう、サムライに。それは立派な志だな。…そうだ、俺も剣を一通り習得して
 諸国を廻っているんだが…嬢ちゃん、サムライになりたいのなら
 俺の元に来ないかい?」
「えっ…でも……」
「俺はこれでも剣の腕には自信がある。どうだい、俺が教えてやってもいいぞ」

でも……ウチ、今、ののが一緒に居るし……
そう言おうとしたのだが、何故か男の目を見ていると、頭に靄がかかってくるようで。

「うん、一緒に、行きたい…」

亜依の口は、自らの意思に抗って、肯定の言葉を吐き出していた。

                                               .

218 :木多娘。 :02/03/20 21:24


「…ふぅ……食った食った、なのれす。……それにしてもあいぼん、
 いつまで風に当たっているんれすかねえ……風邪引いても知らないれすよ?」

そう言いながらも、やっと満たされた腹をさすりさすり満足気な笑みを浮かべ、
窓から差しこむ夜空を眺める。雲一つない空には、数々の星座と、その中心に
位置するかのような月がぽっかり佇んでいた。



「…………今夜はやけに……月が赤い……」

ジィッと月に向けられるその視線。
もうすでに先ほどの笑みはすっかり消え失せていた。

                                   .

219 :木多娘。 :02/03/20 21:24

――――――――――

……あれ? ウチ、どうしてもうたんやろ。
確か、立派なカタナ持ったおっちゃんと話してて……
…ここ、どこや? なんや、さっきの宿とは違うようやし……

「気がついたかい?」
「へっ…? あ、おっちゃん、ここ……」
少しづつ頭の靄も晴れて行き、体を起こそうとする亜依。
「…え?」
しかしその身体は、しっかりと岩の寝床に縄でくくりつけられており、
一寸たりとも起き上がることはできなかった。

「ちょお! これどういうことやねん! なんでウチ、こんなところに
 縛られてんねん!!」
「フフッ、言ったじゃないか…サムライにしてあげるって……」
「これのどこがサムライになれるっちゅうねん!! こら! この縄解かんかい!!」
「ウフフッ…活きがいいねえ…。こりゃあ今夜は楽しい夜になりそうだ……」
「だから何がやねん! さっさと縄、解か……」
そのときズイと男が亜依の喉元にカタナを突き付けた。
瞬間、亜依の口から言葉が消える。恐怖のために、パクパクと金魚のように
口を動かすのが精一杯で、縄の「な」の字すら発することができなくなっていた。

220 :木多娘。 :02/03/20 21:25

「ククッ…まだ殺しはしないよ……なんせ久しぶりの処女だからなあ。
 じっくりと楽しんで……ククククッ」
「っ……」
「そう、今夜お前はこのカタナに思いっきり血を吸わせるんだ…。
 カタナは血を吸って、さらにその切れ味を増してゆく……。
 望み通りじゃないか……お前はこのカタナと同化して
 サムライの一部になれるのだから…!」
「あ……う……」

話が違う! そう叫びたかったけれど、その口は先ほどとまったく
同じくパクパクと開閉するだけで、これっぽっちも音を発してくれない。

「さあて……どっからいこうかなあ……ヒヒッ……腕か? それとも足か?
 …いや、一気に胸を開いて血を吹き出させるのもいいなあ……」

眼前にまで近づけられた男の顔は、もはや人のものとは
思えなかった。ウサギのように真っ赤に染まったその瞳。
通常の倍は開いているのではないかと思われるその口。
いや、実際口はすでに耳元まで裂けかかっていた。
ニタァと笑うその顔に、身体の芯を氷の刃で貫かれたような思いがした。

「よおし、決めた。やはりいきなり殺すのは惜しいから
 まずは腕からいただこう…。どんな断末魔が聞けるのかなぁ……ウヒヒャッ……」

その切っ先が、亜依の左腕の付け根に定められる。

もうダメだ――
こんなことになるのなら、母の反対を押し切ってまで家を飛び出すんじゃなかった。
おかん、ホンマにゴメンな。ばあちゃん、ウチ、やっぱだめやったわ。
今更ながらに後悔の念が、亜依の胸を支配した。

221 :木多娘。 :02/03/20 21:25

もはやこれまで。ついに観念し、その目をギュッと瞑ったその瞬間。

「――――誰だぁっ!」

…え?
ウチ、まだ、生きてる?
亜依が恐る恐る開いた視線の先、男の手の甲に一本の小刀が
突き刺さっていた。

「…なんだ、せっかくのお楽しみだったというのに……
 …邪魔をしてほしくないなァ……」
「…亜依を離せ」
「それはできないってもんさ……なんせヒサブリのエモノだからなァ……
 ……何か? お前もこのカタナに血を吸わせたくてここに来たのかい…?」

「亜依! 無事か!」
男の問いには答えずに、女の声は亜依へと向かって投げかけられる。
「へ…へいっ!」
その声でやっと呪縛から解けたように、亜依のノドから音が出た。

でも…誰なんやろ? とりあえず助けに来てくれたことは間違い無いらしい。
けれどそれは、まったく聞き覚えの無い声で。
両手両足を縛られてるため起き上がることはできないが、
必死に首だけを動かし、声のあがった方を見る。

洞穴の入り口辺りに立っていたのは、スラリと高い長身、
腰まで届くかという長い髪、そして、その二つに揃えたかのような
長刀を手に構える、一人の女剣士だった。

222 :木多娘。 :02/03/20 21:25

「ククッ…今夜はエモノがいっぱいだァ……正直、幼子以外には
 興味が無いが、そんなに血を吹き出したいのなら……」
「……フン、やれるもんならやってみな」
「ヒヒャッ、おとなしくこのしゅう様のエサになれぇっ!!」

男の声が途絶えた瞬間、耳を劈くような刃鳴りが周囲の大気を震わせた。
互いにぶつかり合うカタナとカタナ。
その擦れ合う音は亜依が今まで聞いたことも無いような激しさで。
すでに鼓膜が破れそうだ。
しかし、自らの命もかかっているということで、長くもない首を
無理矢理伸ばして勝負の行方を見届ける。


斬る。
突く。
払う。

そしてまた、斬る。

尋常でない速さで刃を合わせ、稲妻よりも激しい刃鳴りを響かせる。
螺旋のようにグルグル廻り、同時にその位置を入れかえる。
二人のカタナがそれぞれに、対照の輝きを放っていた。
白と黒。光と闇。
さらに重ねられてゆく斬撃。
正反対の輝きが、互いの存在を打ち消そうとする。

なんか…キレイ。
ビリビリと悲鳴を上げる空気の中、場違いに惚けた顔で
亜依はその光景に見とれていた。

223 :木多娘。 :02/03/20 21:25

どれだけトキが刻まれただろうか。
永遠は一瞬であり、一瞬は永遠であり――
もしかすれば、そこだけトキが止まっていたのかもしれない。
何十合と刃が打ち交わされ、拮抗する光と影の天秤が一方へとわずかに傾いたその時、
女剣士の刀身がギラリと光ったように思われた。
いや、輝きを放ったのは女剣士自身であったのか――

瞬きをする間よりももっと短い間、瞬間の出来事。
男の体は肩から腰にかけて真っ二つに切り裂かれていた。


『あああああアあああアああアアアあアアアアァァァッッッ!!!』


男の口から、その身体の裂け目から、おぞましいほどの叫びが響く。
身体の穴という穴から漆黒の闇が放たれてゆき、それと同時に
その存在を塵と化してゆく。

やがて男の全てが無に帰したとき、彼方で静止していた
女剣士がカタナを下ろし、ようやくその構えを解いた。

224 :木多娘。 :02/03/20 21:26

カタナが鞘に収まるカチンという音に、ハッと亜依も我に帰る。

女が亜依の元へと歩み寄り、ゆっくりとその縄を解いた。
先ほどの余韻が残っているのだろうか、その長髪は
まだわずかに宙を泳いでいた。

「…ケガは無い?」
「は、はい…」
「よかった……」
顔をくしゃっと歪ませると、亜依の肩にコツンとその額を乗せ、呟いた。

「な、なぁ…あのおっちゃん、一体……」
「……あれはね……闇に心を捕らわれて人の道を踏み外した奴の成れの果てなんだ……」
「そ…そうなんや……」
「月が血の色をしている夜は、ああいった人外の輩が騒ぎ出すのさ……」
「ふぅ…ん…」

225 :木多娘。 :02/03/20 21:26

「それにしても……怖かったでしょう……」

女の言葉に、喪失していた現実感が少しづつ戻ってくる。

「えっ……あ、う、ウチ……そんな別に…怖くなんてなかったわっ……」
「そう? でも…」
「ウチはサムライに、なんねん……これ、くらいの…こと、で………あ……あれ…?」

立ちあがろうとする膝がガクガクと震えた。ノドからはまるでうまく声が出せず、
目からは涙がボロボロボロボロこぼれてくる。

「心配しなくても、もう、大丈夫だから……」
ふらふらと揺れる身体とふわふわと揺れる心をぎゅうっと抱きしめられると
今まで張りつめていた緊張が一気に解放されたのか、
その胸の中で亜依は意識を失った。

                                               .

226 :木多娘。 :02/03/20 21:27


誰かにおぶってもらってた。

なんだか、暖かくて、優しくて。

ぎゅっとその背中にしがみつく。

                                .

227 :木多娘。 :02/03/20 21:27

――――――――――

「……ん……んー…、ん…?…」

目を覚ますと板張りの天井が見えた。
隣りを見ると、昨日知り合ったばかりのののが
くーくーと安らかな寝息をたてている。

「あれ……えーと……」
「……むにゃ……あいぼん、もう起きたんれすかぁ? まだちょっと早いれすよ?」
「…ありゃ〜?」
「なんれすか、寝ぼけてるんれすかぁ?」
「いや…そのぅ……」
「しょうがないれすねぇ……」

バチンと顔を、柔らかめの手の平で挟まれた。

「ぃでっ! …な、なにすんねん!」
「らってぇ、あいぼんさっきから『ん〜? ん〜?』って寝ぼけっぱなし
 なんれすもん…」
「い、いや…あのな? …あれぇ〜っ?」
「まだ足りないれすか…」
「あ、いやっ! それはもうええって!
 …それより…ウチ、昨日は確か……変なおっさんにさらわれて……
 ……そんで髪のなが〜い女の人が助けに来てくれて……ん〜っ?」
「はぁ……どうせ変な夢でも見たんれしょ……」
「いや……ウチ、確かに……」
「とりあえず、ののはもう一眠りするのれす……」
「あっ……ちょっとぉ……」

しつこく粘る亜依をよそに、隣りの布団からはまた
先程と同じ寝息がたてられていた。

228 :木多娘。 :02/03/20 21:28

やがて完全に日も昇り、冷たい水で軽く顔を洗うと
二人で朝食をとり始める。

お椀と顔がくっついてしまいそうなほどに近づけて
飯をかっ込むののの向かいでは、亜依が上の空で、
ただ箸だけをカチャカチャ動かしていた。

やっぱ夢やったんかなあ。まあ夢だとしても、命の恩人の名前すら聞いていなかった。
覚えていることといえば、高い背丈、長い黒髪、そして――
ふと、ののの傍らに置いてあるカタナが目に入る。
そう、ちょうどあれくらいの長さの……
「あいぼん、食べないんれすかぁ? いらないんならののにちょうだ…」
「あ、いや、食べる食べるっ」
「なんだぁ…ざんね〜ん」

彼女に負けじと椀の飯をかっ込みながら、その視界に
柄の辺りの【飯】と彫られた文字がチラリと映った。
なんかこれ、前にも見たことが――ああ、ののに初めに
カタナを見せてもらったときかな……多分、きっと。
自分で自分を納得させると、今度は視線を手元の飯だけに注ぐことにした。

229 :木多娘。 :02/03/20 21:28

「ん〜っ、いいお天気れすねえ」
「せやなぁ…」
「まるでののとあいぼんの門出をお祝いしてくれてるようなのれす」
「せやなぁ……って、ええ!? ちょ、ちょお待てや!
 お前まだウチにくっついてくる気なんか!?」
「う〜ん、あいぼん、つれないのれすぅ。旅は道連れ世は情けって言葉も
 あるじゃないれすかぁ」
「いや、あの、だから…」
「それじゃ目指すのはぁ……花の都、お江戸の町なのれす!
 あいぼんはサムライなるために、ののはまだ食べたことがない
 おいしいご飯を捜すために、お江戸の町へと向かうのれす!」
「いや、だからそんな勝手に…」
「よーし、競争れすよっ! どっちが早く着くか勝負なのれす!」

言うが早いか、彼女はテテテと走り出す。
何故だか妙に、その背中が懐かしいような気がした。

「ちょ、ののっ! ちょお待てや!!」
「あ――――――っ!!!」
「な、今度はなんやねんな!?」
「あいぼん、初めてのののことをののって呼んでくれたぁ!」
「え? …あ、ああ……って、だからどないやねん!」
「えっへっへー、なんでもなーい!」
「あっ、だからちょっと走るの待てって! 無理! 江戸まで走るの無理やから!」
「早くしないと置いてくよ〜!」
「だーかーらーっ!」

二つに結った髪の毛と大きなカタナを同時に揺らして
遠ざかってゆくその背中を亜依は必死に追いかけた。
太陽はキラキラと、風はそよそよと、口には出さずに
二人の姿を見守っているようだった。


(第一話 終わり)

 

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